大乗仏教というのは、ご存知でしょうか?
日本の仏教は、大乗仏教だと言います。大乗仏教に対するものがあって、それはズバリ小乗仏教です。
ブッダの時代の、ブッダが直接作り上げた、元祖である仏教を小乗仏教という風に、ちょっと格を下げるような呼び方をするのは不思議だと思いませんか?
元々は蔑称だった小乗仏教
ブッダの頃の仏教は、出家した人たちがさとりを求めて行う修行がメインストリームでした。出家している人たちには、戒律があって、俗世の仕事や習慣には関わってはならないというルールがありました。
仕事はしてはいけないので、ただ食べ物をもらうだけです。雨季には屋根の下で生活しますが、その他はシマという割り当ての場所で托鉢のようなことをします。
お葬式などに関わってもいけません。仏教では、お葬式がありません。もともとインドにあったバラマン教やその他の民間信仰ではお葬式をしますが、出家した仏教の信者は一切関与しません。そもそも、人が死んだら消えてなくなり、一切無に帰ってしまうのです。それが仏教の考え方です。
ブッダの出家信者の集団(サンガ)では、葬式は行わず、死者の霊の存在を認めることもないのです。死者はどこへもいかず、いや、どこへも行くことはできず、輪廻の永久ループに囚われたまま未来永劫まで抜け出すことができないのです。
それでも、在家の信者という人たちが少しずつ増えてきて、出家はしないで、従来の俗世の仕事をしているけれども、それでも仏教を信じて、救いを求めたいという人たちが徐々に増えてきました。
(現在では、小乗仏教と呼ぶことはなく、上座部仏教とか南伝仏教、あるいはテーラワーダ仏教という呼称が一般的になっています。)
救われるということの新しい意味
ちょっと極端な言い方をしてしまいますが、この人たちは出家しないけれども、自分で修行もしないけれども、出家した人々に食事をふるまったり、寄付をしたりして、修行を助けることで、それが仏教を助けることにもなるので、自分たちも一緒に救われたいと考えるようになってきました。
正確な言い方ではないかもしれないが、出家した修行僧だけが救いを得られるとは、何と小さな乗り物か、という意味で初期仏教の一部が批判されたのだと考えると分かりやすい。
ブッダの煩悩とは、虫や動物たちがおそらく考えていないように、人間も自分の将来の不安や必ず訪れる死のことを忘れられたら良いのに、なぜ考えてしまうのだろうというこのヒトの本質(性、サガ)が悩みの根源だと思います。
この悩みを現実世界で有効に無効化する考え方を学び、それを支える心のあり様を知り、その状態を意識的に維持できる鍛錬を体得することで、「さとり」に達しようとしたと思います。
大乗仏教において、人々が一体何を本当に「救い」として求めているのか、理解するのは難しいところです。一見すると、何か超常的な次元での救いを求めているように見えます。理性では信じられなくても、それを超えて本当に信じればそれは実現するのだとする教えです。
この考えは、ブッダの活動した時代からすれば、大転換ですが、時代は下ってブッダは神として考えられるようになったということでもあります。神の存在とその栄光を信じられないところには信仰も救いもないのだとされたとしても、他の宗教と比べて何か遜色があるということにはなりません。
殺生は禁止だけれども肉を食べても良かった
元々のインドの仏教も今のインド周辺の仏教もそうですが、普通に肉を食べます。これは多くの人が誤解しています。ヒンズー教徒ごっちゃになっていることもあるでしょう。
これもブッダの時代の話です。出家僧は動物を殺してはいけないという戒めがあるのですが、在家の信者の家で食べ物が出されたら、何も文句を言ってはいけないことになっていました。まるで、後にやって来るイギリス人のようであり、大変にお行儀の良いことです。
肉が出たら、出家僧も普通に肉を食べます。これは非常に一般的なことなので、そこには何も不自然な感じはなかったようです。また余談になりますが、当時の「戒」というのは、破ると追放ですが、他の出家僧(比丘)に聞こえるように「戒を捨てる」と言うと、戒めは無効となり、またすぐ後で再び信者に戻る(得度する)ことができました。
大乗仏教というのは大きな乗り物
大乗仏教というのは、文字通り大きな乗り物という意味です。サンスクリット語:महायान、英語:Mahāyāna が訳語ですが、大乗というのは中国で意訳されたもののようです。
何で大きな乗り物なのかというと、出家した僧たちだけでなく、周辺のサポーターたちを含めて皆で、「菩薩」の世界に進む事ができるのだという意味なのです。仏の慈悲心はとても大きいので、それに多くの人々が乗れる、大きな乗り物なのだという、ちょっと都合の良い考え方です。
悟りを開いていなくても救われる大乗仏教
つまりは、大乗仏教というのは、「さとり」に達していなくても救われる道があるという考え方なのです。
大乗仏教の信者となる人たちは、特別に修行はしていないので、瞑想のやり方とかもよく知らずに、またブッダの経典に直接接しているわけではないのでブッダの言葉を反芻して、この世界の在り方や人の生き方について、深く考える経験もないのでした。
出家僧には、殺生戒(殺してはいけない戒)があり、虫を殺す恐れがあるために土を掘り返してはいけないとされていました。でもこれでは農業はできません。
救われるために全員が出家しなければならないとしたら、社会は成り立たないではないか。畑を耕す人は必要だし、家をたてたりする人も必要だし、清掃する人たちも必要だし、ありとあらゆる仕事は必要だからあるのではないのか。と、これは全くその通りですよね。
だとすれば、もし仮に一部の出家僧だけが「さとり」を得て救われるということであれば、そんな理不尽なことをブッダが説いたとは信じられないという主張なのです。ブッダの率いていたサンガ(教団)では、全員が平等でした。
だとすると、修行しなくても救われるという道がなくてはならなくなり、そこで考案されたのが、大乗仏教だということになります。全ての人に平等に死が訪れると説いたブッダの言葉にフィットする考え方です。
さとりは普通の人には無理!?
「さとり」は無くても良いということなので、一層のこと、普通の人にはとても「さとる(覚る)(悟る)」なんて事が出来ないんだとしてしまえば、熱心で欲しがりな信者を黙らせる事ができると思ったかもしれません。
そもそも「欲しがる気持ち」こそが煩悩なので、それをシャットアウトするということは仏教の指導者たちにとっては当然のことだったかもしれません。
大乗仏教では、菩薩が重要な役目を担ってくるわけですが、それは別稿で述べるとして、それ以降の大乗仏教の教えでは弥勒菩薩が次に出現するのは、56億7000万年後とされてしまいます。もう、ありえないほどの未来の先の先です。
弥勒菩薩はブッダと同レベルの未来仏で、どれだけすごいのかはもはや想像もできませんが、その頃には地球が太陽に飲み込まれて、もう誰一人悩みのない世界になっているかもしれません。と言っても、あながちインチキでもなくて、インド神話のミスラ神から弥勒菩薩に変化してきたという研究があります。このミスラ神は、なんと太陽神とされています。
ブッダの頃には、ブッダと同じ「さとり」に達したと認定される修行僧が何千人もいました。「阿羅漢」というレベルに認定された人たちです。当時は、ブッダと同等のレベルと思われていました。このことを思えば、「さとり」のポジションはものすごく稀なことであるとして、遥かな高みに遠ざけられてしまいました。大乗仏教では、仏教を崇高な哲学にしただけではなく、ブッダをより神格化させて、一般の人々が手の届かないところまで、グレードアップさせてしまいました。
ブッダの死後500年頃に大乗仏教
ブッダが生まれたのは、紀元前5世紀と言われていますが、ブッダの死後500年くらい経た頃から、大乗仏教が形を整えていきます。口伝だったブッダの言葉が文字に記されていくのが、この頃です。そして、2世紀から3世紀頃には、いろいろな大乗仏教の概念が発明されて行きます。
ブッダの死後、インドで発明された、大乗仏教の思想は、一旦インドの北西のギリシア人が仏教に改宗したガンダーラ地方で栄えて、ガンダーラからシルクロード経由で、中国に入って行きます。
インドからは、ヒマラヤ山脈があり、直接中国に行くルートはありませんでした。東南アジアの熱帯も危険が多く、当時の海路もあまり開かれていなかったようです。
一方、南へ伝わって発展した仏教は、南伝仏教とか上座部仏教とか言われるようになります。テーラワーダ仏教というのも上座部仏教のことです。近年では、小乗仏教という呼び方はしません。
インドと中国の主要なルートは、シルクロードだったというのは、とても印象的でありますし、古代のロマンに強く焦がれるところです。
日本には、ブッダの死後1000年頃の、大乗仏教が明確になってからも500年くらい経った頃に、中国からこの大乗仏教が伝わってきました。