ブッダの頃と現代では「さとり」の意味が異なる:初期仏教と成仏・浄土教

「さとり」に達するのに、おおよそ何年かかるのかという疑問もあったのですが、ブッダの頃と現代の日本の仏教とは何もかもが大きく異なります。

初期の仏教

最初にブッダが「さとり」を開いて仏教を始めたことは広く知られています。ブッダが説いて回っていくうちに、ブッダの考え方に同調する他の出家者たちが集まり、サンガという仏教集団ができました。

この仏教サンガでは、戒律が作られました。一番重要な戒律は四戒といって「婬(イン)、盗、殺、妄」が決められました。妄とは悟ったと嘘をつくことです。この四戒は守らなかった場合には即刻破門されてしまいます。この他にも戒はいくつかありました。

ブッダが行なった説法も戒も当時は全て口伝えなので、ブッダが亡くなった後も数百年はずっと口伝でした。ブッダの死後は、何回か弟子たちが集まって記憶を呼び起こし、経典の修正を行いました。文字に書きしるされるのは、ブッダが亡くなってから数百年も経ってからでした。

初期の仏教では、修行者の最高位に達すると「阿羅漢(アラカン)」と言い、ブッダと同じ「さとり」に達したと見なされました。たくさんの人が阿羅漢となりました。

入滅後の1回目の経典をまとめる集会には、500人の阿羅漢が集まったとも言われます。

仏教の南伝・北伝

仏教は、周囲の国々にも伝えられて行きます。大きく分けると、二つの方向に伝えられていくので、これを南伝と北伝と言います。

南伝は、アショーカ王の長男であった王子マヒンダが仏教をセイロン(今のスリランカ)に伝えたこと始まったとされています。こうして、スリランカ、ミャンマー、タイ、 カンボジア、ラオスなど南方に広まりました。

南伝した仏教の中には、現存する最も古い宗派があり、上座部仏教とかテーラヴァーダ仏教と呼ばれています。経典も現存する最古のパーリ語の経典が伝えられています。そして現代でも、修行してさとりに達することを目的としています。

北伝というのは、インドの西北の当時のガンダーラ地方にギリシャ人の都市国家があり、彼らが仏教に改宗して、多くの仏像を作りました。ここからシルクロードを通って、中央アジア、中国へ伝わりました。その後、朝鮮半島、日本へも伝わります。

中国では、サンスクリット語の経典を中国語に翻訳して、体系を整理して、さらに難解な論文を付け加えて、高邁な哲学として精緻化していったのです。

もうその時には、初期仏教の「阿羅漢」は「さとり」というレベルではなく、ただ高位であるとして、称号としてのレヴェルという位置付けになりました。いかに修行を積んでも簡単に「さとり」に達することはできないのだとされたのです。

日本の仏教

日本の仏教は、中国経由で入ってきたので、初期仏教が持っていた素朴な部分は入ってきませんでした。難解な哲学として輸入して、それをそのまま受け入れたわけです。

日本に中国の経典が伝えられた時は、その全てがブッダ一人の著作と考えられたために矛盾する説に混乱しました。それを知識レベルの異なる人々に語りかけたための「方便」として理解することにしたのです。

日本に仏教が伝わったのは、6世紀中頃と考えられていますので、およそ1500年の歴史があります。その後、日本で作られた宗派が、日本全体を覆うことになりました。

現代では、南伝の仏教も日本に入ってきていますし、南伝したパーリ語の経典も中村元(なかむらはじめ)氏の翻訳で読むこともできます。

しかし、日本に仏教を広めるには、もともと日本にいる神様がいて、すでに神道として広まっているので、どうしたら良いものかと考えた結果、仏教と神道とは一体であるというものすごい解決方法をとったのでした。

神仏習合とか神仏混淆(しんぶつこんこう)というもので、仏も神と同じようなものと捉えたのでした。天皇に連なる神の国を仏様が守ってくれるという、大変に都合の良いことを考え出したわけです。

成仏と浄土

成仏というのは、修行をしてさとりの境地に達することの意味ですが、日本では死んで霊魂が極楽へ行くという意味で使います。インドの仏教では、輪廻という考え方が根本にあるので、人は死んでも仏にはなりません。仏になるのは、日本の仏教だけと言っても良いのです。

輪廻とは、終わりのない束縛された苦しい世界と捉えて、多くの人々は未来永劫その苦しみの世界から抜け出すことができないわけです。ここから抜け出て、二度と生まれ変わることのない安らかな境地に達するのが解脱です。

にもかかわらず、日本人は生まれ変わることを救いと感じている人も多くいます。それは来世で極楽浄土につながるという宗派の影響が大きいのだと思います。浄土という言葉は、大乗仏教が中国で発達する時に作られた言葉で7世紀に日本に伝えられました。サンスクリットではそれに該当する言葉が見つかっていません。

浄土の教えは、阿弥陀仏を拝んで「西方極楽浄土」に導かれて救済されることを信じるわけです。鎌倉時代になると、法然が浄土宗を開き、弟子の親鸞が浄土真宗の宗祖として、「南無阿弥陀仏」は日本中に広まりました。