紀元前5世紀頃に北インドで生まれた仏教の開祖は、ブッダ、釈迦と言われます。名前は、ゴータマと言ったそうですが、いろいろな呼ばれ方をしていて、何と呼んだら良いのか、迷うこともよくあります。
このブログでもブッダのことをどう呼んだら良いのか、悩むことも多いので、ブッダの名前を再確認してみます。
ゴータマ、あるいは、ガウタマ
名前はゴータマとかガウタマとか言われています。ゴータマの方がやや耳に馴染んでいるかもしれません。
インドの古語であるサンスクリット語では、ガウタマ・シッダールタ(サンスクリット語:गौतम सिद्धार्थ Gautama Siddhārtha)と言われます。
また、南伝の経典で使用されているスリランカ(当時はセイロン)の言葉、パーリ語では、ゴータマ・シッダッタ(パーリ語:Gotama Siddhattha)と記されています。パーリ語はサンスクリット語の方言に当たると言って良いのかわかりませんが、少し細かい子音が抜け落ちる傾向があるようです。
これだけでガウタマと呼ぶ人と、ゴータマと呼ぶ人に分かれます。「r」の音があったり、なかったりすることが大きな違いです。
中国の人たちは、ゴータマあるいはガウタマのことを、瞿曇悉達多(くどんしっだった)と訳したので、古い経典などでは、シッダールタを「悉達多」という字で表記されていることもよくあります。そのまま今の日本語の発音で読めば、「シッタッタ」ですね。
頭の二字の瞿曇というのは、ゴータマの音写です。
いずれにしても、名前の発音の違いはあっても、ゴータマかガウタマということで間違いはないようです。「ゴーダマ」と濁って発音する人もいるようですが、元々の名前は濁らず、ゴータマと発音します。
姓と名はどっち?
ゴータマ・シッダールタというと、どちらが苗字でどちらが名前なのでしょうか?
結論から言うと、ゴータマは姓です。「牛」を意味する「ゴ」に最上級の接尾辞が付いた形で、意訳すると「とても良い牛」という意味になります。ただ、「姓」というのは、日本のように家の姓である場合もありますが、インドでは族の姓である場合もあります。
なので、「ゴータマ・ブッダ」という呼び方は、「ゴータマ族の目覚めた人」という、やはり尊称であって、個人名ではないということです。
現代において、世界の人口が70億人をはるかに越えた時代になっても、「ブッダ」と言えば、たった一人「ゴータマ・シッダールタ」を指し示すのですから、実用上何も問題はありません。
このブログでは基本的に「ブッダ」という呼び名で統一して書き進めていこうと思います。
釈迦、あるいは釈迦牟尼
他にも、いろいろな呼び名があって、お釈迦様とかよく言います。
「シャカ」というのは、ゴータマあるいはガウタマの出身部族が、シャーキヤ族というので、そのシャーキヤという音を漢字に写したものが「釈迦(しゃか)」ということなのです。
シャーキヤ(サンスクリット語:शाक्य Śākya)というのは、シャーキヤ族あるいはその国のシャーキヤ国を表す言葉です。
シャーキヤ族の聖者をサンスクリットでは、シャーキヤムニ(サンスクリット語:शाक्यमुनि Śākyamuni)と言って、これを漢字に写したものが「釈迦牟尼(しゃかむに)」となります。
「釈迦」というのは、日本でいえば、「武蔵国の人」という意味で「武蔵の・・」と言ったりするような感じと思うと分かりやすいかもしれません。
つまり、釈迦とか釈迦牟尼というのは、知名度から言って、ブッダのことを言うのはおおよそ正しいのですが、個人名ではないので、紀元前5世紀の釈迦でブッダであるところの、ゴータマあるいはガウタマを明確に指し示す名前ではありません。
ブッダ、仏陀
ブッダというのは、「目覚める」を意味する言葉「ブドゥ」(サンスクリット語:बुध् budh)が元になっており、目覚めた人という意味でブッダ(サンスクリット語:बुद्ध buddha)というのです。
元々のインドの宗教の世界では、ブッダ以前にも使用されていた言葉で、特別な言葉ではなかったようです。ところが、仏教を興したブッダの尊称として使われることになり、後にはブッダのことを指し示す言葉にもなりました。
尊称として「ブッダ」を使い、名前には「ゴータマ」を呼び、そのようにして呼ぶと「ゴータマ・ブッダ」という呼び方になります。仏教研究及びパーリ語経典研究の第一人者である中村元氏は、頻繁に「ゴータマ・ブッダ」という呼び方をしています。この呼び方には慣れていない人もいるかと思いますが、ある意味で由緒正しい呼び名だと思います。
ブッダを中国語に音写したものが、仏陀です。これは皆さんご存知のことと思います。
他にも尊称・称号としては、「タターガタ」(サンスクリット語:तथागत tathāgata)というのがあり、漢字では「多陀阿伽度(ただーがた)」と書き、「そのように行った人/来た人」という意味です。あまり知られていないかと思いますが、これを簡単な表現にすると「如来」と意訳されます。
また最も尊い者の意味で、「バガヴァント」(サンスクリット語:भगवन्त् Bhagavant)という尊称があり、これは「世尊」と訳されます。
仏陀の他には、釈迦牟尼仏(陀)、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼如来などといろいろあり、「釈尊」というのは「釈迦牟尼世尊」の最初に1文字と最後の1文字を取った省略形です。昔も今も漢字の国では、このような省略は健在ですね。
さて、これらは全部尊称であって、特定の個人名を示す者ではありませんが、最も尊い人は、ゴータマ・ブッダであるという尊敬の念が根底にあるので、全てゴータマ・ブッダのことを呼ぶ名称となります。
ブッダは敬称なのか?
日本や中国、朝鮮半島では、偉い人に対して、どのように呼ぶか、失礼に当たらないかどうか、結構気になります。
〇〇さんとか、〇〇様という表現であれば、日常的に呼びやすいですが、ブッダのことを、「ゴータマ」と呼び捨てにはできません。「ゴータマさん」というと日本人にとってはあまりにも馴れ馴れしい感じがします。
先ほど、ブッダは尊称だと説明しました。尊称というのは、自分と相手との相対関係で上か下かということではなく、その人自体が持っている能力や功績、地位に対して、称するものです。
イギリスでは貴族の女性のことをLadyと呼びますがこれは尊称です。敬称であればMs.(あるいはMrs. あるいはMiss)などがこれに当たります。
ブッダというのは尊称なので、語順は別にして、「ゴータマ・ブッダ」という呼び方は、敬語としても理にかなっていると思われます。「ブッダ」のみで、もう明らかに「ゴータマ・ブッダ」のことですが、他にもブッダと呼ぶにふさわしい人が現れたとしても、ゴータマという名で生まれたブッダのことを指す明確な表現です。
日本ではお釈迦様という表現がよくあります。「お」が付いて「様」も付いていますので、とても丁寧ですが、「釈迦」という言葉はシャカ族(シャーキヤ国の人)の意味なので、直訳すると「シャカ族のお方」という意味になります。とは言え、長い間、尊敬を込めて呼び習わしてきた言葉なので、これも礼にかなったものと思います。
ブッダというのは、「目覚めた人」という意味で、尊称であり敬称でもありますので、ブッダにさらに「様」は付けません。「ゴータマ・ブッダ」あるいは、ただ「ブッダ」と言えば良いのです。